佐枝子先生との出会いは5男坊えりやをお腹に入れていた時。
フリースタイル出産にほのかな期待を持ちながらもすでに6人を分娩台で産んだ私には
それがもう常識だったりもして・・・。でも
佐枝子先生のお話は熱いのに温かで、激しいのに穏やかで
ほんの1時間だったのにずっと胸に残ったのでした。

間もなく第8子が来たことが判明。
病院だと入院が長いので産後すぐから超元気な私には辛い・・・と考え
佐枝子先生を思い出してすぐに電話。でも残念!先生は体調を崩されて助産院を閉めていました。
でもある日訪れた病院での検診で貞永先生にポロリともらした
「入院したくない!」の一言で事態は急展開。
「佐枝子ちゃんが自宅出産の介助を始めようかと言ってたから紹介してあげようか?」と
貞永先生がおっしゃって下さり、約1年ぶり、の運命の再会となったのでした。
数週が進んでいたので自宅での検診はほんの数回となりましたが
佐枝子先生はチビチビ、中チビ、デカチビたちの名前と顔をすぐに覚えて下さって
こまめに声をかけてくれました。おかげで皆は「しゃえこしぇんしぇ〜」と
いつも先生が来て下さるのを楽しみにしていました。
先生が帰ってしまった後は部屋に残った先生の香りがどこか淋しかったものです。

大分市では第3子以降出産奨励祝い金」が3月31日で廃止になるので
なんとか3月中に出て来ぉ〜い、という母の願いもむなしく(?)
やっとお産の気配があったのは4月6日の早朝3:00でした。
6:00になり強まる痛みに不安になった私は先生にメール。
6:30過ぎに先生が到着、いよいよ本番!と思いきや〜。
芦刈さんが来てもクリスティナたちが来ても全く進まぬ痛み・・・・
時々来る痛みを先生に報告しながらも皆と談笑したりインターネットにつないでみたり
芦刈さんの整体を受けたり・・・とリラックスモード全開。
「本当に今日産まれるん?」というパパの突っ込みにいたたまれない私でしたが
お昼過ぎいよいよ本格的な痛みがやって来ました。(遅!)
佐枝子先生と芦刈さん、ダブルのハンドパワーのおかげで
その痛みも完全にコントロール出来ていたと思います。(ぜんぜん叫ばなかったもん!)
ベッドの上にあがり横になり足袋をつけてもらう頃には自然に体が壁の方を向き
左足をお腹の方に引き寄せて壁に突っ張りました。右足はベッドのふちにかけて
甲に力を入れて痛みを逃しました。
初めての体位でとまどいながらもいきみ始めると先生たちがその度
「うん、良いよその感じ!」と声をかけて赤ちゃんの様子を知らせてくれたので
「お?コレで良いの?」と励みになりました。次男坊のぴっぴがずっと側にいるのがわかりました。
いやぁでもなかなかおりて来ないなぁというのが私の本音、
いつもなら数分で発露するのに〜。でも「あ!赤ちゃんの頭だ、髪がモサモサ〜!」という
ぴっぴの声で私はハッとして、とっさに手を足の間に持って行きました。
叱られるかな・・・と思いながら。すると佐枝子先生は
「そう、赤ちゃんよ!触ってあげて!」とおっしゃいました。
これが私の一番強く印象に残っているやりとりで、そのおかげで私は
赤ちゃんがうんと頑張ってくれていることを感じることが出来たし、手に触れた
濡れた髪の感触を通じて8回の出産で初めて
痛みの中で我が子を「かわいい」と感じたのでした。
それからゆっくりゆっくり肩が出て全身が出て・・・
臍の緒がついたままの真理依ちゃんはしっとりとしめっていて温かくピンク色で
ほんとうに可愛い赤ちゃんでした。
いまちょうど20日が経ちましたが、家族で向かえた命はすぐに家族に馴染み
ずっと以前からここに居たように自然に過ごしています。
自然て素晴らしいなあと実感しています。佐枝子先生、どうもありがとう。
                                            平成18年4月26日